1995年1月、静岡県生まれ。会社員&写真家 Instagram
新しいアイデアは繊細なものなんだ。
平木 さあ、そろそろ展示の内容についての話も聞きたいんだけど。CODYくんとSYUNTAの二人展のタイトルは「TEMPERATURE」だったね。
SYUNTA そうだね、体温て意味で。もう今の時代はさ、写真なんてスマホで撮れるし、絵もタブレットで描けちゃうし、インスタでいろんな写真も絵も見れるじゃん? そんな時代の中で、写真撮って現像して額装してっていう、そういう手間を面倒くさいけど大事にしたいよねっていうのが、俺とCODYの共通の認識だった。CODYもずっと紙とペンのアナログで描くことにこだわってきた人だから。
そういう手間をかけることによって「温かみ」が出る、そんな話を前々からしていて。「体温」っていうのも俺らの気持ちというか、温度が伝わってほしいなっていう思いもこめて「TEMPERATURE」というタイトルにした。あとね、TEMPERATUREって「t・e・m・a」が入ってるじゃん。それもあって2人ともビビってきて。tema=手間をかけることによって温度が生まれる。それがね、俺ら的にすごくフィットしたんだよね。
平木 いいタイトルだと思うよ。
SYUNTA あと、この「TEMPERATURE」というタイトルについてもっと遡ると、大学時代の思い出が出てくる。
大学2年の時に、CODYと俺含めた仲が良い4人組で、ロードバイクで静岡から富山まで行く自転車旅をしたんだ。俺とCODYは名古屋・岐阜経由で富山に、もう一方は山梨・長野経由というように二手に分かれてね。で、4日後に富山の宿で合流する計画だったんだけど、ひとつこの旅にはルールがあった。
平木 ルール?
SYUNTA スマホを置いてく。
平木 ああ、なるほど。
SYUNTA スマホで調べればルートなんて簡単にわかっちゃうけど、それに今頼りすぎてるよねって当時話してたんだよ。だからこの旅ではスマホは家に置いてって、お互い連絡取れない状態で、富山で合流しようっていう約束だけして出発した。
平木 いいね(大変そう)。
SYUNTA その旅が、今にも繋がってるところがある。当時、一週間以上スマホを手放すなんてこともなかったから、どうなるか不安だったんだけど、でもしっかり富山の宿で合流できてさ。その時の感情というか……、いつもはさ、LINEすれば1分で返事がくる。それが4日後にお互い無事なのがわかるっていうのが、それまで味わったことのない感情をもってきたんだよね。喜びすぎて、宿の女将さんに「何年ぶりかの再会ですか?」って聞かれちゃってさ笑。たかが4日ぶりなんだけど、それぐらい喜びがあった。
大学2年の時だから今から8年前になっちゃうけど、今でも自分の中で印象に残る出来事としてある。だからその時から、“面倒だけど忘れちゃいけないこと”っていうのが、自分の中にテーマとしてあったんだよね。
平木 それを写真展のテーマとして決めてから、テーマ用に写真は撮り下ろしたりした? それともこれまで撮った写真からセレクトしていったの?
SYUNTA どちらもだね。展示の場所が広かったから、これまでのだけだと足りなかったんだよ。メインの作品に関しては「TEMPERATURE」というのを意識して二人で作って、あとは自分達のポートフォリオ的な意味合いとなる作品を選んだり、新しく撮影したりしていった。二人とも展示が初めてだったから、自己紹介的なものとして今自分が表現できることを考えてね。
平木 額装とかも自分達でやったわけでしょ? 大変じゃなかった?
SYUNTA 初めてだったから大変だったよ。A3サイズにプリントするのも初めてだったし。いろいろ失敗して二人で考えながらやった。
平木 展示の場所は沼津だったんだよね。
SYUNTA うん。沼津駅近くの空きビルの地下でね。元々地元で有名な「ボルカノ」っていうパスタ屋さんが入ってた場所だったんだけど、その店は10年以上前に移転しちゃっていて。それからずっと空き店舗だったらしい。で、そのビルを活用するプロジェクトをキュレーターの人たちがやっていたんだけど。
平木 そういうチームがいるのね。
SYUNTA そのずっと空いている場所をどうにか使いたいと思ってたところに、何かやりたいと思ってた俺たちに話がきたからさ。本当にタイミング的にばっちりだった。
平木 写真でみたらかなり雰囲気ある場所だったけど。
SYUNTA ずっと使われてなかったからさ、下見に行った時もカビとかホコリでもうすごかった。
でも、展示の初日に静岡新聞が取材にきてくれて。新聞に出してもらった日に、俺らのこと全然知らない60代くらいの夫婦が「新聞見て来ました」って来てくれたりしたんだよ。その夫婦は昔「ボルカノ」によく来てて、その店の壁の特徴的なタイルが懐かしくて、それ思い出して来てくれたらしくて。
平木 へえ、いい話だね。
SYUNTA この場所でやってよかったなと思ったよね。俺らの初めての展示でもあったけど、地元の人たちの思い出を蘇らせるじゃないけどさ、またこの場所に足を運んでもらうきっかけになったのが嬉しかった。それも人の温かみという、「TEMPERATURE」ってタイトルにつながるなと思って。あの場所でやった意味をすごく感じた。
平木 反響はどうだった?
SYUNTA 俺ら別に沼津に縁なんてなかったからさ、人来んのかな?って思ってたんだ。100いくかな? って。そしたらさ、300人も来てくれて。
平木 すごいじゃん。
SYUNTA おっ、と思ったよね。それと同時に、自分の写真をここまで大きくして、プリントして飾ってっていうのは初めてだったから、この経験を踏まえてもっと次はこうやりたいなっていう創作意欲もすごく出てきた。
平木 今回展示やってみて、どういったところに課題や発見があったのかな。
SYUNTA そうだね、もっと一貫性を持たせたかったかな。例えば1カ月くらい制作期間を作って、沼津市オンリーの写真にしたり。あとはどの写真にも共通の色が入っているとか。もっとその作品を展示する意味を、見た人にわかってもらえるような気づきや伝わる要素があった方がいいなと思った。
あとは例えば展示会場の装飾物とかの資材を、沼津の廃材だけ使うとか。もっとその場所でやる意味を出せればよかったかなと思う。
いまやラグジュアリーとは「体験」を意味します。
平木 展示作品は販売もした?
SYUNTA 販売した。意外にも7枚売れたんだよ。全部で16作品あったんだけど。
平木 すごいじゃん。
SYUNTA 最初は、ひとつでも買ってくれる人がいてくれたらいいなっていう気持ちだったんだけどね。
平木 自分が撮ったものに対してお金を払ってくれる個人がいるっていうのはすごいことだよ。価格設定はどうしたの?
SYUNTA メインの作品はA1サイズで大きめだったから、3万円。あとはA3サイズの作品で、一律1万円にした。
平木 ああ、作品としてはけっこう安い感じがするな。
SYUNTA 最初だから値段どうつけるかめちゃくちゃ悩んだよ。
平木 そこは難しいよな。でも1万だったらいいよな、気に入ったものがあれば買っちゃうよね。
SYUNTA それこそ「THE FASCINATED」で全国周っていく中で感じたんだけど、自分で写真撮ったり絵描いたりクリエイティブなことしてる人って、みんなもう当たり前のように良い写真とか絵があれば「これめっちゃいいね」って買ってくんだよね。そういう文化が当たり前にある。俺もね、ヨコさんの店で写真家の人が展示やっていた時に、いいなと思った写真を初めて買ってみたんだよ。その時に“写真を買う感覚”を初めて味わった。
今回の展示も、CODYと作品を販売するかどうかですごい話し合ったんだよね。俺らと近い世代が主に見にきてくれると思ったし、その世代の人たちにいいなと思った写真とか絵を買う文化をもっと身近にしたいなっていう思いもあって、結局販売することにした。
でも本当に、みんながいいねって言ってくれる反応が、自分の想像以上に伝わってくるものがあって。それで写真を買ってくれて、どこかに飾るっていうことをしてくれる人が、自分の写真には7人もいてくれた。自分の作品で、写真を買うっていう行為に繋げられたことが、すごく自分の中では良かった。
平木 いや、だからさ、本当に俺は高校を卒業するまで、そういう文化的な習慣だったり活動みたいなものをさ、全く知らなかった。というか無さすぎだった気がする。そういうことを知ってる大人も知らなかったし。静岡というか、当時の俺の生活があった場所は穏やかで良い場所だったからね、あの時は何も疑問を持たなかったけど。
それで東京とか、雑誌の世界に行った時に、みんな小さい頃からそういうものに触れている。はては自分で絵描いたり写真撮ったり音楽作ったり、それを発表してたり。俺はそれがすごくショックで。なんでみんなこんなこと知ってるの? やってるの? って。
SYUNTA ああ、わかるよ。
平木 だから俺の場合はそこに追いつこう、というか憧れた時期もあったんだけど、でも別に俺がそれを追う必要はないなとある時思えたから、本当に自分がやりたいことって何だろうって考える時間ができた。それが今こうしてSYUNTAに話を聞いている時間にもつながっている。
でも、そういう文化的なものがさ、小さい頃から当たり前に生活の中にある人たちがうらやましいなと思ってるよ。
SYUNTA 俺もそうだね、ショックな部分は確かにあった。
遠回りこそが俺の最短の道だった。
平木 話を聞いてると、大学でダンスサークルに入ったのが良かったよね。分岐点というか。そこから世界が広がっていった感じだもんね。
SYUNTA そうだね、結局元を辿るとそこ。同じ学科のやつに連れられて練習を見に行って。もう半ば強引に「明日から靴持ってきてね」みたいな感じで入ったんだけど笑。そこで出会ったCODYとか、ほかにも何人かいるけど本当に人間として尊敬できて面白いやつらだなって。考えていることとか行動力とか、今まで全然出会ったことがない人たちだったから。
平木 いいね。
SYUNTA 仲間思いのやつばかりだったんだよね。人を受け入れる器が大きくてさ。俺は自分に興味がなかったり、なんかイマイチだなって一回思ったものに対しては基本的にNOの人間だったんだけど、周りのやつらの影響で自分も大きく変わっていった。
平木 俺は結局一番、というかまず最初に影響を受けたのが雑誌とか本だったからなあ。だからヒトに影響を受けるのってすごくいいと思うんだよね、羨ましい。
しかしCODYくんも面白そうな人だね。今仕事は何やってるの?
SYUNTA 古着屋やってるんだよ、サウナしきじとか登呂遺跡の近くでやってる「SCOOBY」って店なんだけど。
平木 しきじの近くでやってるんだ。あんま静岡市のことはわからないけど、静岡駅の北口じゃなくてあっち側でやるっていうのは、やっぱいいセンスな感じあるよね。
SYUNTA 古着屋のインスタの商品紹介でその服の絵を描いて載せたりしてるよ。あとは古着屋以外でもイラストの仕事も受けていて、結婚式のウェルカムボードとか、お店の開業祝いに看板描いたり。もちろん自分でも好きな絵描いたりしていて。いろんなとこで絵を描いてる。
平木 古着屋以外にもいろいろやってるんだ。いいね、面白いね。
SYUNTA あいつは大学1年の時に一人でアメリカ行ってたんだけど、その時にもう古着屋をやるっていう目標が見えてたらしいんだよね。そういう行動力がある部分も、すごく影響を受けてきた。
There is no pleasure in work.
平木 今はカメラは何使ってるの?
SYUNTA 今は富士フイルムのX-Pro3ってカメラ。結構値段はって30万以上した笑。
平木 やっぱそんだけするよね、良いカメラは。
SYUNTA 買った時は正直、買うならいいやつにしたいなっていうそんな感覚だったんだけど。でもヨコさんにも、そんな良いカメラ買ったならしっかりともっと作品作ってみなよみたいなことも言われたりして。
平木 そのカメラを買ったのは展示の前?
SYUNTA そうだね、去年の7月ぐらい。
平木 展示の話をする前か。
SYUNTA 自分の中ですごく高い買い物をしたっていうのも、もっとちゃんと写真と向き合おうっていう物理的なきっかけとしてあったよね。表現の部分も意識して撮っていくようになった。
平木 影響を受けた写真家さんは具体的にいたりするの?
SYUNTA 富士フイルムのカメラ買おうと思ったきっかけになった人は、YUSUKEさんていう人で。ヨコさんとはもうずっと昔からの仲間で、一緒にGOOD ERROR MAGAZINEをやっている写真家なんだけど。YUSUKEさんが撮る写真の感じとか、YUSUKEさん自身の人柄というか……。うまく言えないけど、人を惹きつける、常に笑顔でハッピーな空気を纏った人。
平木 人を撮る人には、その人なりのコミュニケーションが絶対あるよね。
SYUNTA 写真ってさ、撮られたくない人もいるはずというか……撮られることに抵抗感が生まれちゃう人もいると思うんだけど、YUSUKEさんの写真に写っている人たちには全くそういうのがなくて。それはYUSUKEさん自身が周りの人を大事にしていて、一人一人と向き合っているからだと思うんだよね。それは自分も大事にしたいなって思う部分だったし。そのYUSUKEさん自身の人柄も含めたトータルで、影響を受けたと思っているし、尊敬している写真家の1人。
平木 そういう人がいるのはいいね。じゃあ初めての展示を終えた今、次の目標は既にあるの?
SYUNTA 「これを続けなきゃ意味がない」っていうのはCODYとも話した。とりあえずいつになるかわからないけど、CODYの友達でコラージュでいろいろ作ったりしてる子がいて、その子も含めて展示やろうっていうのは前々から話してるからやりたいと思ってる。でもゆくゆくは一人で展示やるっていうのが、今の近いとこの目標かな。その根本には、俺らの世代もやってこうぜっていう気持ちがやっぱりあるよ。
まあ、今回の展示でいろいろ課題もあったし、もっと磨かなきゃいけないことがあるんだけど。でも、今の歳だからこそのやる意味っていうのは感じてる。
平木 本当だね、20代のうちにやれてよかったね。
SYUNTA いやあ、そうだね。それはよかった。
平木 最終的に、写真家一本で生きていくことは現時点で考えている?
SYUNTA うーん……今までは、そんなんじゃ食っていけないとか、そんな現実的なことばかり考えていた。作品を展示して、それだけでっていうのはかなり難しいから。
平木 そうだね、それは……相当な人でも難しいね。
SYUNTA でも、自分の撮る写真をいいなって思ってくれる人が、展示とかいろいろなこと通して今増えている気がするから、そういう気持ちが全くないってわけじゃない。そこに辿り着くまでは、やらなきゃいけないことがいっぱいあるけど。でも写真家としてやっていきたい気持ちはすごくある。二人展やってから、それが余計にはっきりした。
平木 俺はかなり期待しているよ。ひとつ、写真を職業にするなら最低限「物撮り」が綺麗に撮れるといいと思う。多分、人を撮るのはさ、それぞれの正解があるんだけど、物を撮るっていうのはある程度正解が限られてくると思うんだよね。
SYUNTA そうだね。
平木 それをバシッと撮れる人はやっぱ“写真家”だなと思う。これからさ、俺がもし静岡で取材があった時に、SYUNTAに撮影頼めたりする?
SYUNTA ああ、それは是非やりたいな。
平木 まあいつになるかわかんないけどさ、仕事できたらいいね一緒に。
SYUNTA うん、本当にね。
〈fin〉
理想を言えば、“表現”に喜びはないのかもしれない。
もしその表現に満足がいけば、それ以上のことはしなくて良くなるから、改善も成長もない。決して完璧などはありえないはずなのに。
ましてや、それを仕事にした場合は、より状況はややこしくなる。
複数の人間が関わって完結する仕事の中では、自分の思い通りに事が進むことはほとんどありえない。
そして、(本当にその仕事をする気があるなら)自分の仕事に対して常に反省しなければならない。
他者との関係性の中で妥協点を見つけ、それを最善と考えた形に整え、反省し、自分の表現を他者の“好き”に近づけていく行為を繰り返す。
自分が“好き”というだけで満足していたものが、いつしか誰かの“好き”を考えるようになっていく。
これをどう感じるかが、それを仕事にするべきかしないべきかのひとつの境界線なのかもしれない。(最初から誰かの“好き”だけを考えて始めたのなら、話は別だが)
あるいは仕事を考える際、もっとカジュアルで有効的なのは、周りの他者をうまく使うこと。それは関係性だったり能力だったり、願いや夢だったり。それをうまく使えば自分のやれることが定まってきて、いつしか“やりたい”レベルに近いものになっていくこともあるかもしれない。あるいは“やらなければいけない”ものになっていくかもしれない。
もうひとつ、好きだからやれるんじゃなくて、“好きじゃなくても続けられる”ことを仕事にするのも、多分幸せなのかもしれない。
ただ、この“好きじゃなくても続けられる”という感覚は、ある一部の人間にとっては業が深いものかもしれない。それは、なんというか……、自分の生理にべったりと張りついたような感覚。DNAに刻まれているような感覚。あるいは衝動。あるいは日常。あるいは呪い。あるいは……。
SYUNTAにとっての「写真」はどうなのか。
それは今度インタビューする機会があったら聞いてみようと思う。