1994年4月、大阪府生まれ。会社員&ウクレレシンガー Instagram

じゅんき①より続く

Sing thy song of happy chear

平木  そもそも俺はあのnoteに違和感を持つ部分があったから、じゅんきに話を聞きたいと思ったんだけど。

じゅんき  うんうん、聞きたい。

平木  やっぱり俺にとっては、じゅんきはステージに立ってる人間なんですよね。俺はそれが今でも本当のじゅんきだと思ってしまっている。だから、またステージに立ちたいと思わないのかなっていう。

じゅんき  うんうん。

平木  別にアカペラのステージって意味じゃなくて、スポットライトが当たる場所というか、みんなの視線が集まるところ。そういう場所に立ちたい、常に挑みたいなとは今思ってないのかな、というのが俺が一番聞きたかったこと。

じゅんき  答えは、大いにYES。大いにYESやし、そのうえで俺にとっての今立てる・立ちたいステージが何なのか? っていうのをずっと探してる。俺が一番好きなのは、目の前のお客さん、手触り感のある反応とか歓声。直接的に、その人たちに伝えかけたり。ずっとそれを探し続けてもがいて、今なんとなくこの辺かな? ていうところ。

平木  苦しい時期はあった?

じゅんき  東京に来て最初の一年とか、P&G辞めてからも正直しんどかったな。初めてみる人やら場所やら、新しい環境やし、時にはそれに揉まれて流されて、これまでの自分の中のスタンダードは壊れていくしっていう感じで。かなりしんどかった。でもそのしんどい中でも自分なりに試行錯誤してた。例えば社会人でも通えるアナウンサー・キャスターの養成所とかに半年間通ってみたりしててね。ただ、結局アナウンサーも違うなと思った。やってみて感じたのは、思っていた理想・幻想より自由度に限りがあって。やっぱりそりゃ、与えられた原稿とかさ、番組に求められるものがあってそれを話していく職業なのかなって。俺はほんまにどうしようもないマイペースやねん。それはポジティブなものとして自分は捉えているけど、でもその自分の強いポジティブな部分を表現できる形ではないのかなと思った。でもそれはやってみてわかったことで。そういう試行錯誤を自分の中でしてきた期間があった。

平木  去年はウクレレのコンテストに出ていたよね。そこで賞もとっていた。

じゅんき  それもその一環かもしらんな。いろんなことやってみないとわからんから。そのコンテストに応募したのも街中で弾いていたのがひとつきっかけで。

平木  へえ。

じゅんき  さっき話してた、公園でのアイドルとの出会いがきっかけで、目黒川沿いとかでも弾くようになって。で、通りがかった人に声かけられたりとか、チップもらったりとかしてたのね。そんなことある? みたいな出来事がたくさんあった。それで、路上でウクレレ弾いてみました〜みたいなやつをインスタのストーリーにあげたりもしたり。そうする中で、さっきの最上志向じゃないけどさ、ちょっと自分の中でもクオリティの高い動画を作ってみたいなと思ってて。そういう時に商店街で弾いてたら、目の前を美大生かな、男の子が自転車で通ってさ。「ちょっと撮ってもいいですか?」って声かけてきてくれたんよ。それで、その子めっちゃいいカメラを持ってて、いろいろ撮ってくれたのよ。それが『接吻』の動画になった。こんな偶然の出会いで、こんな素敵な映像が生まれるんやっていうのが、もうめっちゃ驚きだったし、楽しかった。もっとこれをやっていきたいと思って、本格的に動画を撮り始めて。何本か作ってみた。それがある程度できてきたところで、せっかくだし今度は何か目指す対象が欲しいなと思って調べて、そこでたまたま出てきたのが、「THE UKULELE CONTEST ~4ALL~」っていう大会だったんよ。

平木  それは規模的には大きいものだったの?

じゅんき  ウクレレ界の中では大きいけど、アカペラの大会とかハモネプと比べたら規模は違ってくる。でもなにより、あれに挑戦した一番の収穫は、自分が思っていた何十倍もいろんな人が応援してくれたこと。「いいねしたよ!」とか「めっちゃ刺激受けるわ」とか。なんかそういう言葉をもらって、もう涙出そうになって。そうした挑戦を応援してくれる空気感みたいなものが、俺が感じたかったムーブメントというか、やりたいものなんかなと、あの時思った。

平木  コンテストに応募した『SWEET MEMORIES』の動画はとても良かった。

じゅんき  ありがとう。

平木  じゅんきの今の生活にとって、関心のトップはウクレレになるのかな。

じゅんき  関心としてはそうやな。ウクレレも歌もアカペラももちろん好きやねんけど、でもやっぱり歌とか楽器は、俺にとってはツールのひとつでしかなくて。

平木  そうだよね。さっきアナウンサーとか言ってたけど。歌がメインという話ではないよな。

じゅんき  そうそう、だからミュージシャンになりたいわけではない。俺が一番求めているのは、自分が磨いてきたものを通してうまれる、人との出会いや心のつながり。それが自分にとって一番重要なもの。ウクレレを通じてアイドルとあんな交流が生まれたりとか、たまたま弾き語り聴いてくれた家族とご飯行かせてもらいましたとか、ウクレレの大会に出てみんなが応援してくれて心がすごく通じ合った感覚があったとか、そういう心と心のつながり、それをやっていきたい。

平木  それをやっていくためのツールとして、ウクレレや歌がある。

じゅんき  うん。ただしそれをやっていくためには、やっぱり、自分を高めないとあかんなと。それができるだけのレベルに自分がいないといけない。人に与えて初めて人から与えられるからさ。と思って今はめちゃくちゃウクレレ勉強してるのよ。

On a cloud I saw a child

平木  じゅんきは誰とでも仲良くできるからさ、どういうふうに人を見ているのか、大学時代からずっと気になっていた。

じゅんき  ちょっと大きな質問だからあれやな。じゃあ例えば、俺が惹かれる人とか、関わっていたいなと思う人がどんな人か、という質問やったとしたら、ひとつ大前提なのは「ポジティブ」やったりとか、「人生に対して前向き」な人というのはあるんやけど。その中でもうーん、物事の本質を見る目をもってはる人かな。『当たり前』から外れて常識を疑う目があるというか、本質的な人に俺はすごく惹かれるかも。その上で、自分の個性を最大限に発揮している人、表現者に俺はやっぱり惹かれるかな。最近感じたことを書いてるメモにはそういう人のこと書いてたりするかも。ちなみにメモは「マインドマップ」ていうのを使ってる。これ何にでも使えんねん。

平木  そんなのあるんだ、いいねこれ。

じゅんき  物事を考える時さ、やっぱり抽象度レベルを自分できちんと把握して、それを整理して、それができて初めて物事を全体的に把握できるやんか。学校の勉強はそれをする訓練やったなと、振り返って思ったんやけど。最近はもう全部のメモにこのマインドマップを使ってるわ。

平木  こういうもので体系立てて情報や考え方を整理すると自分の思考がクリアになる。

じゅんき  そうそう。このマインドマップの中に影響を受けた人をまとめてるところがあるんやけど。今一番影響受けてる人は「yurinasia」ってひととか。

平木  あ、この人の名前見たことある。

じゅんき  ほんま? ダンサーさんで、福岡でダンススクールしている人。生徒さん、学生やねんけど、これ見てほしい。俺これめっちゃ好きで。ダンス全然やったことないし、全くわからんけど、なんか惹かれんねんこのダンスに。もちろん上手さもあるけど、みんなの目がキラキラしてて、ほんまに自分の個性を爆発させてる感じがするんよ。俺この人たちのダンスが好きすぎて、この団体が主催の東京公演のライブがあった時にこのあいだ観に行ってさ。もうさ、エネルギーがえぐかった。ほんまかっこよくてさ、めっちゃ悔しかった正直。自分より年下のさ、小学生とかもおんねやんか。そういう子らが、自分の個性を知って愛して、その個性・「好き」から滲み出た服装をして、自分の体で表現してる。なんか、音楽を表現する方法って。 なんか世にある『振り付け』とはまた違って、言葉にしにくいけど、”音の楽しさ”を体で表現するっていうダンスの本質的なところを感じさせてくれるんよ。yurinasiaさんは、子供たちにずっとそれを教えてる先生で。ダンスが上手なのはそうなんやけど、ダンスだけを教えるんじゃなくて、生徒に絵を描かせたり写真をとらせたり自己表現させてて。『絵を描ける人にしかできない動きがある』と教えてて、「あ、この人」とびびっときて。インタビュー動画とか見たり、結構のめり込んでる。最近、ずっと黒だった髪を染めたりパーマあててみたり、今まで気にもしてなかった服にお金を優先して使い始めたんだけど、その変化にはこの人の影響がかなり大きい。自分をもっと愛して、もっと個性を表現しようって。

Tho’ the morning was cold Tom was happy & warm

平木  やっぱり俺とじゅんきは全然違う。俺はどちらかというと負けてそうな人に惹かれる。そうするしかなかった人というか。

じゅんき  全然違うと思うし、それでいいと思う。全ての人に当てはまる価値観なんてないし、むしろその、「自分がどこに立っているか」を認識することで始めて、他の価値観に本当の意味で耳を傾けられるようになると思う。全員に好かれようとするのをやめるというかね。

平木  もうひとつnoteに書いていたことで気になったことがあるんだけど。じゅんきは本当にやりたいこととして、『仲間と呼べる存在と共に全力で、「ありたい自分」の溢れる世界が創りたい。』と書いている。俺はこれがよく理解できなかった。でもこれまで話聞いてきて、なんとなく掴めた部分はあるけど、改めてこの言葉の意味を知りたいと思ってる。じゅんきにとって仲間はすごく大切な存在だと思うけど、俺はじゅんきみたいな感覚があまりないと思うから。

じゅんき  そうやなあ。仲間と友達の違いはシンプルで、共通目的を持っているかいないか。そこを目指して、そのために俺たちは一緒にいるんだっていう共通の目的がある。志を共にするとさ、自分も頑張れるし、自分もその人にパワーを与えられると思ってる。あとは”苦楽を共にしたか”っていうのもひとつ基準にしているかな。同じ飯の窯を食った仲間というか。「ありたい自分」の部分は、さっきも言ったけどそのひとオリジナルでよくて、そこに”常識”とか、人間の本能や脳の作りに支配されずに、ほんまに自分が思う自分のありたい姿とか、自分にとっての幸せを追求していきたいし、みんなもそこに負けずにほんまに自分にとってなりたい姿は何なのかっていうのを目指してほしいとおもって。みんなそうやったら、もっとこう……、ちょっとでもさ、世の中幸福になるんじゃないかなと信じている。という感じかな。

平木  そっか……、そのゴールに向かっていくために、ウクレレとかがあったりするんだね。

じゅんき  そうそう。でもここまでばーっと喋ったわけで、じゃが丸は興味もってたくさん聞いてくれたけど、世の中のひとに今の俺がこんな話しても誰も聞いてくれへんやん? だから、みんなに聞いてもらえるようになるためには、俺自身がまずそれを実践して結果を出さないといけない。こんな人になりたいと思ってもらえる人間に、まず俺がならないといけない。でも自分のありたい姿って本当なんなんやろって、もう俺も日々わからんくなることばかりでさ。偉そうに言ってきたけど、全然俺も道半ばやし、何も成し遂げてない。でも、ウクレレの大会出た時にみんなが応援してくれたみたいに、俺が人生に対して前向きで頑張ってる姿に共感してくれて、そういう心の火みたいなものがみんなに広がって、どんどんその火が大きくなっていくようなさ、そんなふうにみんなにパワーを与えられるようになりたい。そのためには筋トレもして自分磨いて、ウクレレ上手くなって、みんなが興味をもってくれる結果を出さないかん。

平木  筋トレも今大事?

じゅんき  筋トレは好きだからやってる部分もあるんやけど。やっぱ健康は一番大事やし、心と体の健康って繋がってると思う。それはおとんの影響もあったりするんやけど、とにかくすべての根源は健康やなと思ってて。調子良く楽しく生きたいなと思った時に始めたのが筋トレ。

平木  なるほど。

じゅんき  せっかく生まれたしさ、思いっきり楽しみきって死にたいやん。でもまだ俺は、それができてない。まだまだこんなもんじゃないと思ってるし、悔しい場面もいっぱいあった。

平木  そうか。

じゅんき  だからやっぱこれからです。君が僕にインタビューするのは早すぎます。もっと俺が大きな成果を上げた時に、また聞きに来てくれ。

取材が終わり、原稿にまとめ、じゅんきにも確認してもらい、前編をアップしたあと、彼から電話がかかってきた。

「今の気持ちはどう?」

私はその質問の意図がわからず、考えもまとまらぬままダラダラと意味があるようなないようなことを喋った。

彼は問うている。

“それで、あなたは何がしたいの?”

電話を切ったあと、自分は結局何をやりたいのか、何を成し遂げたいのか、もう一度考えてみたが、答えは出なかった。出なかった、というより、うまく言葉にすることができなかった。じゅんきが納得するような答えは、自分の中にはないし、これからも生まれない気がする。おそらく、じゅんきはどんな答えでも納得してくれるのかもしれないが。

じゅんきは、私がこれをやることで今後どうしていきたいのか、何を他者に投げかけたいのか、この「目的」は何なのか、私の今後を見ていく上でハッキリ聞きたかったのだと思う。今の彼の行動や選択も、全て(試行錯誤しながらも)明確な「信念や目的」があってのものだから。

でも自分は……、この「同級生に話を聞くこと」に関しては、それをやること自体が「目的」だった。もう少し具体的に言うなら、これを続けていくこと。それしか目的はないし、それ以外の目的はあまり加えたくないと考えてしまう。ただただ、自分が心底やるしかないと思うことをやりたいだけ。

そういうふうに存在するものがあってもいいんじゃないかな? と常々思っていたが、じゅんきはさすがだった。まさしく私に欠けているものを言い当ててきた。

でも喩えるとすれば、私は「建物」を作りたいんじゃなくて、「山」を作りたいのかもしれない。

あのnoteを読んだ時に感じた寂しさを思い出す。

やっぱり、私たちは全く違う人間だ。

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